中川 正彦
※このコラムでは、来年の美作国建国1300年にむけて、地域の歴史上のさまざまな出来事を紹介していきます。
第2回 湯郷 その1
葦が茂る荒涼な沼地の窪んだ所で、一羽の鷺が毎日たたずみ、夕方になるとねぐらの森に帰っていた。やがていつの日か鷺の姿は見えなくなった・・・。

貞観2年(860)天台宗比叡山の円仁法師(諡号慈覚大師)は、夢のなかに西国順行の際、塩垂山麓のこの地を訪れるようにとの薬師如来のお告げを受け、 文殊菩薩の化身である鷺に導かれやって来たところ、足を痛めた鷺が「湯治」をしているのに出逢います。
法師は湯を口にし、ただの湧き出ている湯ではなく「薬湯」であることを発見した、と伝えられています。
藤原定家「名月記」には、「『かつまた』の湯は膝足に効験あるが、遠くてなかなか下向できない、せめて有馬の湯で湯治するか」とあります。
後醍醐天皇は元弘2年(1332)3月7日京都六波羅をたち、隠岐に配流の際、三月一六日に御入浴され、 このときに詠まれた歌「よそにのみ思ひぞやりし思ひきや民のかまどをかくて見むとは」が記された看板が笠懸の森にあります。湯につかり詠まれたことでしょう。
平賀元義(岡山藩士・歌人)はここ湯郷に逗留し「白妙の三雪もさえて渡る日のかげのどかなりかつまたのみ湯」 (後醍醐天皇が入られた湯であるから「御(み)湯」と呼んでいます)と歌い、歌碑がゆ〜らぎ橋のたもとに置かれています。 この平賀元義の万葉調の歌を高く評価し世に出したのが正岡子規といわれています。
このように永々と湧き出る湯の恵みを祝う丑湯まつりは、今年は7月21日(土)に予定されています。

津山藩主森家四代目長成公・於千姫・各武将・知行取・庶民・女湯(めのゆ)にと、湯の恵みをいただき、 千年以上もの長きにわたりこんこんと湧き出るお湯に感謝し、さらなる地域の発展を祈る。
参考文献 新作陽誌・ボラ会必須事項・美作町史・岡山の殿様・全日本史・ほか
※さてここで問題。湯郷を発見したといわれる円仁法師の遣唐使留学の記録「入唐求法巡礼行記」の研究者で、 のちに米国駐日大使になった人物は誰でしょう?(解答は次回掲載時に)
美作国の1300年をたどる
高瀬舟(模型)

第4回 高瀬舟 上

美作には中国山地を水源に大きな川が流れ、瀬戸内海に注ぎ込みます。
これらの川は水量が豊富で流れが緩慢なことから、…
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鷺湯橋 丑のレリーフ

第3回 湯郷 その2「丑湯考」

夏の土用の「うし」の日に湯郷の温泉に入ると、邪気をはらい健康に過ごせるといわれ、 毎年盛大に「丑湯まつり」が行われてきています。…
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楢原廃寺

第1回 美作国の誕生

平成25年(2013)4月3日、美作国は建国1300年を迎えます。
和銅6年(713)4月3日、備前国の北部6郡を割いて美作国を置く。美作国の誕生です。…
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