中川 正彦
※このコラムでは、来年の美作国建国1300年にむけて、地域の歴史上のさまざまな出来事を紹介していきます。

第4回 高瀬舟 上

美作には中国山地を水源に大きな川が流れ、瀬戸内海に注ぎ込みます。
これらの川は水量が豊富で流れが緩慢なことから、高瀬舟の舟運が発達してきました。
室町時代には県下の三大河川に高瀬舟が通っていたと言われ、

宇喜多時代を経て森時代になって、街道、河川の開発整備が行われ、高瀬舟は栄え、 旭川(西川)は勝山、吉井川(中川)は津山と楢、吉野川(東川)は林野(倉敷)、梶並川では田殿まで船路があり、 川湊には舟問屋、豪商たちにより蔵が建ち並びますます栄え、物の流通は広範囲に広がり、 川舟は最大の交通手段となり、文明文化をも運んできました。
吉野川流域では、梶並川で明暦二年(1656)和田・田殿まで通船し蔵が建ちます。
また梶並川・滝川と吉野川の合流点の林野(倉敷)では、西ガ浜、東浜の川湊が開け、往来が盛んになり、 年貢米、諸商品の集散地として蔵が建ち、商人宿ができて作東第一の盛況となります。
高瀬舟の船底は平らで、岩石にぶつかっても壊れないように作られ、 長さ約15メートル、幅2メートルで米100俵(約6トン)が積める規模でした。
出舟・入舟の掛け声も勇ましく、船頭は舟に土足で入るのは縁起が悪いとされ、 舟中では新しいものかきれいに洗った「アシナカ」という草履を履き、金比羅信仰を敬い、 命がけの仕事をしていました。また船頭は赤い色を吉兆として喜び、川を下っているとき 赤い洗濯物を干している光景を見ると大変縁起が良いとされていました。
帆を張り、船頭が唄を歌い調子を整え、藩の年貢米、薪炭、雑穀、木綿、茶などを積んで川を下り、 福本の舟問屋に集積され、飯岡船番所、和気船番所を経て吉井川を西大寺金岡湊へと下っていきました。
京都の商人 角倉了以は吉井川の高瀬舟を見て京都、伏見、富士川など全国に高瀬舟を広めました。
しかし、繁栄していた県下の高瀬舟も、鉄道の発達によって、次第に衰退していきます。(次号に続く)

参考資料:柵原町史、英田町史、美作町史、美作町史編纂中間報告書(昭和39年)、岡山県史
※前号の問題の解答
いわゆる「メモ魔」。
※さて、では今回の問題。
小説「高瀬舟」の作者は誰でしょう。(解答は次回掲載時に)
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